2016年3月31日木曜日

第67話「運勢」

Y氏は強かに酔い、タクシー乗り場に向かっていた。すると途中で、露店の占い師を

見かけた。

「試しに占ってもらおうか」

「分かりました」

Y氏が手を差し出し、占い師は鑑定を始めた。

「あなたの手相には、近い将来に事業で大成功する運勢が見えます」

「本当かい」

「はい。但し、お酒には注意して下さい」

「分かっている」

Y氏は気を良くし、あと少し飲みたくなった。

やがてY氏はすっかり泥酔し、最後の店を出る。

「俺の人生は、前途有望だ」

Y氏は独り言を口にしながら、フラフラと道路へとはみ出した。そこへ運悪く車が

突っ込み・・・。

Y氏は致命傷を負った。そして死に際で呟いた。

「全く、酒の魔力というやつは、運勢に余計な手を加えやがる」

2016年3月30日水曜日

第66話「生ガキ」

Y氏は自宅に数名の知人を招き、生ガキを振る舞った。

「先日、故郷の漁師から生ガキを頂いたのですが、とても一人では食べ切れなくて」

食卓は生ガキで賑わっている。

「生モノですから、早めにどうぞ」

Y氏が勧めると食卓へ一斉に箸が伸び、生ガキは見る間に食べ尽くされて行く。

その後、雑談を交えて数時間が過ぎた。

「では、そろそろ」

Y氏が御開きを促すと、知人の一人が食卓を指差して言った。

「生ガキが一切れ残っています。誰か召し上がって下さい」

「どうぞ、どうぞ」

皆そう言って人に勧め、誰も生ガキに手を付けない。残り物には、時々当たりがある

というのに。

「では、私が」

Y氏は最後の生ガキを口にして、見事に食あたりを起こした。


2016年3月29日火曜日

第65話「空気読めない」

休憩室に居合わせた同僚の二人が、ある後輩の噂話を始めた。

「うちの会社で、空気が読めない人間は誰だと思う」

「KYと言ったら、もちろん新人のキムラだよ」

二人は小声で話を続けた。

「やっぱり、君もそう思うだろう」

「そう。言ってみれば、キムラはKYの代名詞みたいな人間さ」

「それは言えるな。それにしても、キムラのKYはひどすぎるよ」

「確かに。だって、キムラは生まれつきのKYだから手に負えない。正に筋金入りだ

よ」

「どうして、生まれつきだと分かる」

「どうしてって、キムラをイニシャルで読んでみな」

「キムラ、ユウ・・・。確かに、筋金入りのKYだ」

2016年3月28日月曜日

第64話「死にきれない男」

Y氏は事業に失敗し、莫大な借金を背負った。

ーこうなったら、いっその事・・・ー

Y氏は将来を悲観し、自らの手で何度も命を絶とうと試みた。しかし、なぜか死にき

れないのだ。

首を吊ればロープが切れ、川に身を投じれば水深が浅く、車に飛び込めば上手く交わ

される。早い話が、Y氏は運が良いのである。

ーどうやら俺は、死に神との相性が悪いらしいー

Y氏は運命に逆らわず、生きる決心をした。

数年後、Y氏の運転する車が大爆発を起こした。誰もがY氏の死を予感した時、Y氏

は炎の中から奇跡的に生還を果たした。

「見事な脱出劇でしたね」

レポーターがY氏にマイクを向ける。

「俺は死にきれない男さ」

スタントマンのY氏は、そう答えた。

2016年3月27日日曜日

第63話「死に際」

その夜、酒に酔ったY氏の心に魔が忍び込んだ。

ー自宅まで、少し運転するだけだー

Y氏はハンドルを握り、車を発進させた。

やがて自宅に近付くと、バックミラーにパトカーが映った。Y氏は職務質問を恐れ

た。

ーこのまま逃げ切ってしまえー

Y氏はアクセルを踏み込んだ。すると突然、前方に人の姿が見えた。

ー危ないー

Y氏はブレーキを踏んだが間に合わなかった。直ぐにパトカーが追いつき、Y氏は警

察官に捕らえられた。

「前方不注意だな。それに酒臭いぞ」

「相手は、なぜか急に飛び出して来たのです」

「言い訳は無用だ」

Y氏の弁明は通じなかった。

翌日、警察官がY氏に告げた。

「被害者が亡くなった。所持品の中に、遺書が見つかったらしい」

2016年3月26日土曜日

第62話「ライバル」

一郎と二郎は双子の兄弟であり、互いに良きライバルでもあった。

先に生まれた兄の一郎と、後から生まれた弟の二郎が、ある意味で生まれる時から競

争を始めていたとすれば、まずは先に生まれた一郎の勝ちと言える。

以来、二人は何においても先を争った。ただ、二郎は一郎に勝てなかった。あと少し

の所で、何時も一郎に先を越されてしまうのだ。

ー何時か一郎に勝ちたいー

二郎は常にそんな気持ちで生きていた。

しかし、その願望は果たされないまま、やがて二人は高校生になった。

そんなある日、不幸にも一郎が交通事故で死んでしまう。二郎は悲しみつつも、悔し

い思いをした。

ー兄さん、俺よりも先に死なれたら、また兄さんの勝ちじゃないかー

2016年3月25日金曜日

第61話「特効薬」

ドクターKが両親に告げた。

「息子さんは、もう手遅れです。ただ、人体実験を通じて試験薬を使用すれば、助

かる可能性もあります」

「息子に人体実験を施して下さい」

両親は懇願した。

「分かりました」

ドクターKは息子の体に試験薬を投与した。

「先生、それは何の薬ですか」

「若返りの薬です。上手く行けば、息子さんは健康だった頃の体に若返ります」

薬の効果は直ぐに現れた。息子の年齢は後戻りを始め、しかも若返りは進行し続ける

のだ。すると息子の体は次第に小さくなり、遂に消えてしまった。

「実験は失敗です」

以後、母はショックで長期入院した。その間、母の体には身に覚えの無い変化が起き

た。

ー私、妊娠したみたい。もしかして・・・ー

2016年3月24日木曜日

第60話「タイミング」

Y氏は停車中の電車に乗り込んだ。扉の脇に立って外を見ると、フラフラとオヤジが

歩いて来る。だが乗車せずにY氏の正面で立ち止まった。ホームで次の電車を待つの

だろう。

ーこのオヤジ、酒臭いなー

Y氏が何気にオヤジを見ると不意に目が合った。する突然、オヤジはY氏に因縁を付

けてきた。

「おい、何を見ている。文句あるのか」

どうやらオヤジは酒癖が悪いらしい。Y氏は頭にきたが押し黙った。ここで怒りを口

にすればトラブルになる。Y氏はタイミングを計る事にした。

やがて警笛が鳴り、扉が閉まる瞬間、Y氏は大声でオヤジに捨てゼリフを浴びせた。

「この馬鹿野郎!」

すると、そこへ一人の乗客が駆け込んで来た。扉が再び開き・・・。

2016年3月23日水曜日

第59話「神隠し」

ある田舎町の通学路を、小学三年生の男児が二人で下校していた。二人が道路脇にあ

る土砂の集積場に差し掛かった時、一人が言った。

「ここに僕たちの秘密基地を作らないか」

「おもしろそう」

さっそく二人は、今にも崩れそうな土砂の斜面に慎重に穴を掘り始めた。

やがてポッカリと口を開けた小さな洞穴は、二人が身を隠すには最適の場所となっ

た。

「ここを僕たち二人だけの秘密基地にしよう」

「うん。暫く隠れていようよ」

こうして二人は洞穴の中に身を潜めた。

やがて日没になっても、二人は家に戻らなかった。そこで捜索隊が出動した。

「何処にもいないぞ。神隠しの仕業かな」

秘密基地は崩れ落ちて跡形も無い。そして二人の姿も消えた。

2016年3月22日火曜日

第58話「双子」

双子の兄弟は五十歳になった。

「兄さん、俺たち、もういい歳だな」

「早いものだ。所で、お前は結婚しないのか」

「この歳だし、半分諦めているよ。兄さんの方はどうなの」

「実は、来年の春に結婚が決まっている」

「えっ・・・」

弟は兄に先を越された様な気がした。

そして結婚式の当日、双子の兄弟はこんな話をした。

「兄さん、ちょっと悔しいけど、おめでとう」

「有難う。お前も直ぐに結婚できるよ」

「そうかな」

「そうさ。双子の俺たちは好みも似ているだろう」

「確かに、似ている」

それから半年後、兄の言った通り弟もめでたく結婚した。

「兄さん、偶然にしては出来過ぎた結婚だとは思わないか」

兄の嫁と弟の嫁は、双子の姉妹である。

2016年3月21日月曜日

第57話「視線」

その日、ガードマンのY氏は重要な任務を与えられていた。

「では、配置に就いてくれ」

「了解しました」

隊長の指示を受け、Y氏は某ホテルの出口に立った。間もなく大物スターを乗せたセ

ンチュリーが、Y氏の脇を通過してホテルを後にする。出口付近には、既に大勢の人

が詰めかけていた。

彼らの進路妨害を防ぎ、スターを無事に送り出す事がY氏の任務である。Y氏は、さ

りげなく腕時計を見た。

ーもう、そろそろだー

そこへセンチュリーが現れ、Y氏の脇で一旦停止をした。歓声と共に、見物人の熱い

視線が出口に注がれる。Y氏は任務の傍らで、その視線に訳も無く酔いしれた。

―俺、ちょっとイケてるかもー

Y氏は何気に服装を整えた。





2016年3月20日日曜日

第56話「アナウンス」

休日の昼下がり、Y氏はようやく目を覚ました。

ーもう、こんな時間かー

Y氏は布団から起き上がると部屋のカーテンをめくり、窓を開け放った。するとアナ

ウンスの声が聞こえてきた。

「只今、廃品を回収しております。不用品の処分に困っている方は、何時でも声を掛

けて下さい。あなたの事、待っています」

それは、とろける様な年若い女性の声であった。Y氏は声の主を想像しながら、思わ

ず鼻の下を長くした。

ーちょっと、見てくるかー

Y氏は、わざわざ廃品を探し出して表へ出た。そしてアナウンスの車に近付き、嬉し

気に中を覗き込んだ。

「お待ちしていました」

車内のオヤジがニヤリと笑う。

テープから流れ出る美声に誘われて、また別の男がやって来た。

2016年3月19日土曜日

第55話「五感」

Y氏は先輩に連れられて、とある居酒屋の暖簾をくぐった。

「乾杯」

二人はグラスを合わせ、一杯目の酒を勢いよく飲み干してゆく。そして二杯目、三杯

目と進んで酔いが深まってくると、二人は熱く人生論を語り始めた。

「先輩、人間の一番の幸せとは何だと思いますか」

Y氏は先輩に初めてそんな事を聞いた。

「いい質問だ。俺も君と同じくらいの歳の頃には、その事をよく考えたものだ」

「それで、どんな答えが出たのですか」

「簡単さ。人間は見たい物を見て、聞きたい物を聞き、美味しい物を味わい、いい香

りを嗅ぎ、触りたい物を触ればいい。つまり、幸せとは五感を満たす事だよ」

「なるほど。でも僕は、触りたい物を触って痛い目にあいました」

2016年3月18日金曜日

第54話「王様の死」

ある国に王様が住んでいた。

「我は偉大なり。我は最も神に近き者なり」

王様はそう公言し、絶対的な権力で全ての民衆から豊を吸い上げていた。その為に、

民衆たちの暮らしは非常に貧しかった。

ある日、王様は家来たちを従えて町を練り歩いた。するとそこに、一人の薄汚れた男

が現れた。

「何の用だ」

王様は、男を見下すように言った。

「王様に話があります」

「俺と話をするなど千年早いわ。虫けらよ邪魔だ、どけ」

「ほう、虫けらは無害とは限りませんよ」

「無礼者!こいつを捕まえろ」

そう叫ぶ王様に、男は隠し持っていた毒を放った。そして、うろたえる王様に男は

言った。

「俺は物乞いだ。一国の王様が物乞いに命を取られるとは、いい笑い話だ」

2016年3月17日木曜日

第53話「切符」

往復切符を片手に、Y氏は特急列車に揺られながら遠方の行楽地を目指していた。

「隣は空いていますか」

一人の老人がY氏に声を掛けた。

「どうぞ、空いていますよ」

「じゃあ、失礼します。それにしても、最高の行楽日和ですね」

「まったく。今日はどちらまで」

気さくな老人は、すぐにY氏と打ち解けた。

暫くすると、車内放送が流れた。

「お客様に申し上げます。只今、この列車はハイジャックされ・・・」

騒然とする車内。すると突然、大きな爆発音が聞こえた。

「俺はまだ死にたくない」

取り乱すY氏に、老人は静かに声を掛けた。

「この辺で、旅は終わりですね」

「そんな馬鹿な。俺は往復切符を持っているのに」

「人生は、片道切符の旅なのです」

2016年3月16日水曜日

第52話「健康管理」

Y氏の健康管理は徹底していた。食事については栄養士を雇い、運動においては専属

トレーナーの指導を受けている。更に担当医による健康チェックを常に欠かさず、健

康食品や健康グッズなど、体に良いとされる物は何でも取り入れている。

ある日、Y氏は半年に一度の定期健診を受けた。

「検査の結果、あなたは完璧な健康体と言えます」

「それは良かった。何しろ、日頃から完璧な健康管理を行っていますから」

「このまま行くと、きっと世界一の長寿になれなすよ」

その後、Y氏が病院を出ると、運悪くコンクリートの破片が頭上に落ちてきた。それ

は彼に十分な致命傷を与えた。

完璧と思われたY氏の健康管理に、不可抗力という項目は見当たらない。

2016年3月15日火曜日

第51話「ひょうたん」

ある村に、とても貧乏な男が住んでいた。ある日、男は家にあった全ての食料を食べ

尽くしてしまった。

「神様、もう食べ物がありません。助けて下さい」

男は天に向かってお願いした。すると、こんな声が聞こえてきた。

「丘の頂上で木を見上げなさい」

男が声に従うと、木の枝にひょうたんがぶら下がっていた。手に取るとずっしりと重

く、傾けると中から豆が出てきた。

暫くの間、男はその豆を食べて飢えをしのぐ事にした。ところが、いくら豆を食べて

も、ひょうたんは空にならないのだ。

男は不思議に思い、ひょうたんの中が見てみたくなった。そこで、ひょうたんをノコ

ギリで二つに切り分けてみると、中にいた小人たちが、せっせと豆を作っていた。

2016年3月14日月曜日

第50話「正義感」

Y氏は念願のマイホームを購入した。ある日、親友を招いて新居のお披露目となっ

た。

「いい家じゃないか」

「一目で気に入ったよ」

「申し分ないだろう」

「それが、隣の飼い犬の鳴き声が少し気になっている」

「苦情は言ったのか」

「何も言っていない。触らぬ神に祟り無しって言うだろう」

「お前は、昔からそういう所がある。よし、俺が話を付けてくるよ」

気弱で大人しいY氏の代わりに、正義感の強い親友は直ぐに行動を起こした。

「どうだった」

「上手くいったから、もう大丈夫だ。また何かあれば、何時でも俺に相談してくれ」

「助かるよ」

以来、Y氏に対する隣人の態度が変わった。Y氏は今、新居を売却しようかと考えて

いる。

2016年3月13日日曜日

第49話「サバイバル時代」

世界の平和と安全は、決して確約されている訳ではない。天変地異、疫病、食料不

足や災害、テロ、戦争などの災難は、今も世界中の何処かで起きているのだ。それ

が、いつ降りかかって来たとしても不思議ではない。

ー明日は、我が身かもしれないー

世界が混沌とする直中において、Y氏は最近、切にそんな不安を抱いていた。

やがてY氏の不安は現実となり、戦争が始まった。

そして国土の大半が焼け野原と化し、多くの戦争難民が生まれた。正にサバイバル時

代の始まりである。

しかし、長らく平和な暮らしを続けてきた多くの人々には、こうした危機的な状況を

生き抜く知恵が無い。

ー生き残るのは、彼らしかいないー

Y氏はホームレスを眺め、そう確信した。

2016年3月12日土曜日

第48話「存在理由」

ー僕は、どうせ馬鹿な人間だー

Y氏は自分自身を否定しながら数十年を生きてきた。子供の頃は同級生から馬鹿にさ

れ、大人になると同僚から馬鹿にされている。こうして何年も馬鹿の扱いを受けてい

ると、それは自己イメージとなって定着してしまう。

「僕みたいな馬鹿な人間は、生きる価値がありません」

ある日、Y氏は信頼できる先輩に、そんな思いを打ち明けた。

「そんな事は無い。人間は誰でも、何かの存在理由があって生きている」

「そう言われると、生きる希望が湧いてきます」

「それは良かった。君は君自身の存在理由に気付くべきだよ」

「でも、何も思い浮かびません」

「例えば、馬鹿がいるから賢い人間が胸を張れる。そうだろう」

2016年3月11日金曜日

第47話「時間の感覚」

世はスピード時代である。技術の進歩は単位時間当たりの人間の活動効率を高め、感

覚的な時間は速まって行く一方である。早い話が、現代人は何かと忙しいのだ。

Y氏は最近、そんなスピード時代における、ある種の違和感を覚えている。

ーなかなか進まないなー

道を歩けば、つい歩調が遅くなる。

ー何をもたもたしているー

レジに並べば待たされる。

ー悠長すぎるだろうー

話せばテンポが上がらない。

こんな風にY氏の時間の感覚は、よく逆戻りを強いられる。つまり、スピードが求め

られる現代社会において、時間の感覚に明らかな逆行現象が起きているのだ。

ーこの現象は加速しているー

Y氏はそう感じていた。老人は、日々増え続けている。

2016年3月10日木曜日

第46話「バスを待つ女」

Y氏は同僚を連れて、行きつけの喫茶店で一息入れていた。窓の外を眺めると、美し

い女の姿が見える。バスを待っているらしく、女は停留所に立ち、何やら携帯電話で

話し込んでいた。

「いい女ですね」

先ほどから女に釘付けとなっていた同僚が、ふと漏らした。

「確かに」

Y氏も女に見とれていた。

「あの女、結婚していると思いますか」

「いや、していない」

Y氏はそう言い切った。

「分かるのですか」

「俺もこの歳だし、人を見る目くらいはある」

「じゃあ、あの女に彼氏はいますかね」

「いるよ。でも、あまり上手くは行っていないだろう」

「どうして、そんな事が分かるのですか」

「唇の動きを読んでいれば、色々と分かってくるさ」

2016年3月9日水曜日

第45話「精神療法」

ドクターKは精神医療の名医である。独特な彼の治療は極めて効果的で、かつ即効性

に優れている。そして薬などは一切使用しない。

ドクターKは自身を持って話す。

「私が患者の心に働きかければ、忽ちのうちに病は癒やされるでしょう。そして何度

も通院する必要はないのです」

ある時、ドクターKの元に一人の男がやって来た。

「先生、私は極度の高所恐怖症に悩んでいます。何とかなりませんか」

「分かりました。まずはリラックスして下さい」

「こうですか」

男は体の力を抜き、ドクターKに身を任せた。

「そうです。では、始めましょう。あなたは、高い所が少しも怖くない・・・」

ドクターKが男に施した催眠術は、二度と解かれる事はなかった。

2016年3月8日火曜日

第44話「傘」

雨の中、女がY氏の元を訪れた。

「何かあったの?急に呼び出したりして」

女はY氏の顔を見るなり、開口一番にそう告げた。

「どうしても君に話したい事がある。まあ、入ってよ」

女は濡れた傘を玄関の脇に立て掛け、靴を脱いだ。

「話って、なあに」

「それが・・・」

つまりは、別れ話である。

「私は人生の半分を、ずっとあなたに捧げてきたのよ」

「分かってくれ。もう、この辺で終わりにしよう」

「何よ、若い女に目移りするなんて。最低だわ」

その言葉を最後に、泣きじゃくる女は表へ飛び出して行った。独り残されたY氏は玄

関に立ち尽くし、ただ一点を見据えている。

女が置き忘れた傘。それはY氏の傘の横に、そっと寄り添う様にして立て掛かってい

る。

2016年3月7日月曜日

第43話「郵便配達」

Y氏は郵便配達の大ベテランだ。バイクを巧みに乗りこなして三十年、郵便物を運ん

で町中を走っている。一日で数百件に上る配達などは、Y氏にしてみれば朝飯前の事

だ。

この春にはY氏の転勤が決まり、新しい赴任先での初日がスタートした。

「首を長くして待っていました」

Y氏は大いに歓迎された。

「お世話になります」

挨拶が終わると、Y氏に新しい配達先が告げられる。

「じゃあ、頼みますよ」

「行ってきます」

Y氏は出発した。

やがて日が暮れる頃、Y氏はただ一件の配達を終えて戻って来た。

「それにしても、大変な配達を任されたものだ」

Y氏は疲れ果て、ふと漏らした。

人里離れた山の頂上に建つ一軒家。そこがY氏の新しい配達先である。

2016年3月6日日曜日

第42話「決心」

Y氏は年若く、夢を持っていた。しかし行動力に乏しいが為に、その夢は何時になっ

ても実現しない。とにかくY氏は、のんびり屋で尻が重いのだ。そんなY氏が、ある

日ようやく一念発起して行動を起こそうとした。

ーよし、明日から始めようー

最初はそう思ったが、明日になると気が変わった。

ーいや、一週間後に始めようー

そして一週間後には、また気が変わった。

ーいや、一か月後に始めようー

こんな具合に先延ばしとなり、挙句の果てにはこう思った。

ーいつか、そのうち始めようー

こうして人生をやり過ごしている間に、やがてY氏は年老いた。もう人生の時間切れ

が迫っている。

そこでY氏は新たな決心をする。

ー今度、生まれ変わったら始めようー

2016年3月5日土曜日

第41話「無言ゲーム」

人は喋らずに何時間いられるのか。そんな実験を兼ねて、無言ゲームと呼ばれる催し

が行われていた。参加者は部屋に入れられて審査員の監視の下で過ごし、一日に八時

間の睡眠が与えられる。

初参加のY氏は予め説明を受けた。

「喋らないで何時間いられるかに挑戦してもらいます。これまでの最長時間は八十八

時間です。この時間を超えれば、あなたに百万円を差し上げます」

審査員はそう言ってストップウォッチを取り出した。

「スタート」

それから八十五時間が過ぎ、Y氏は百万円の獲得を確信しながら睡眠に入った。

そして一時間が過ぎた頃、審査員はY氏を起こして突然こう告げた。

「残念ながらゲームは終了です。今あなたは寝言を言いましたね」

2016年3月4日金曜日

第40話「第3位」

Y氏は四十歳の時、運動不足を解消する目的で筋トレを始めた。体が筋肉質に変わっ

てくると新たな意欲が湧き、筋トレは更に本格的となる。その甲斐あって、三年もす

るとY氏の肉体は見違える変化を遂げた。

「一度、ボディビルの大会に出てみてはどうですか」

同僚に勧められ、Y氏は大会に出場する事になった。

毎回、予選は通過するものの、Y氏の通算成績における最高順位は四十代クラスでの

8位である。

―今度こそはー

上位を目指していたY氏は、今年初めて参加した五十代のクラスで3位となった。

「銅メダル、おめでとうございます!」

結果を聞いた同僚がY氏を祝福する。しかし、素直には喜べないのだ。

何を隠そう、参加者は3名であった。

2016年3月3日木曜日

第39話「ホームレス」

博打好きが高じて度重なる借金に手を染めたY氏は、遂に家賃が払えなくなった。

ーこうなったら、消えてしまえー

Y氏は失踪し、遠く離れた町でホームレスになった。

これから始まる路上生活は何かと不安でもある。Y氏は一人の先輩ホームレスに声を

掛けた。

「今日からホームレスを始めました」

「ああ、そうかい。じゃあ、ホームレスの生き方を教えてやるよ」

先輩は親切な態度を示した。話している間に仲良くなり、Y氏は身の上話を始めた。

「私は借金を抱えて逃げてきました。先輩も何か辛い事情があったのでしょう」

「俺は一時的に社会から存在をけしているだけさ」

「どういう事ですか」

「俺には不法に得た隠し財産がある。時効まで、あと少しだ」

2016年3月2日水曜日

第38話「サイクリング」

ある晴れた日曜日、Y氏は十年ばかり乗り慣れた愛車でサイクリングに出発した。

走り出して暫くすると、Y氏は前ブレーキに違和感を覚える。愛車を止め、点検の為

に前ブレーキをギュッと握ると、プツンとワイヤーが切れてしまった。

ー十年も乗っていれば、こんな事もあるー

修理を頼もうと思ったが、生憎ジュース代しか持ち合わせていない。

ー後ろブレーキが利いているから大丈夫だろう。よし、出発だー

愛車は再び走り出し、やがて高台の下り坂に差し掛かる。加速と共に、Y氏は清々し

い風を受けた。

ー気持ちいい、最高だー

その時、前方を横切る通行人がいた。

ー危ないー

Y氏が慌てて後ろブレーキを握ると、ワイヤーがプツンと音を立てた。

2016年3月1日火曜日

第37話「手品師」

Y氏は最近、手品を覚え、その腕前を知人に披露した。

「誰か一万円札を持っていませんか」

Y氏の問いかけに、知人の一人が財布から一万円札を取り出すと、それをY氏に差し

出した。

「それでは、この一万円札を消して見せましょう」

Y氏はそう言って、手にした一万円札にハンカチを被せた。

「1、2、3」

掛け声と同時にY氏がハンカチをめくると、見事に一万円札が消えていた。知人から

拍手が上がる。

「今度は、一万円札を元に戻します」

Y氏はハンカチで手を覆った。

「1、2、3」

Y氏がハンカチをめくると、消えた筈の一万円札が現れた。再び拍手が上がる。

ーこれは、いい商売になるー

Y氏は手にした偽の一万円札を、知人にお返しした。