2016年1月31日日曜日

第10話「貫禄」

優柔不断で頼りない男と、したたかで気丈な女の組み合わせというのは、バランスの

意味合いにおいて存外に相性が良いのかもしれない。そんな男女が夫婦になると、た

いてい旦那が嫁の尻に敷かれるものだ。

この夫婦も又そんな一組であり、結婚して十年になるが夫婦関係は極めて良好で、最

近は息子が小学校に入学したばかりである。

「お前、PTAの会長に選ばれたって本当か」

「ええ、そうよ」

嫁は照れ笑いを浮かべながら答えた。

「適任だと思うよ。だって、お前は貫禄があって頼りがいがあるからな」

旦那はそう言って、妻をまじまじと見る。

「そうかしら。例えば私の、どんな所が」

「決まっているじゃないか、お腹だよ」

2016年1月30日土曜日

第9話「新作」

作家、嵐山五郎の待望の書き下ろしが、間もなく完成しようとしていた。原稿用紙で

数百枚に及ぶ物語の出来栄えは、残りの数枚を如何に埋めるかにかかっている。

ーリアリティ、もっとリアリティがほしい・・・ー

ここへ来て、嵐山のペンの勢いがピタリと止まった。

「先生、そろそろ新作の発表の時期が近付いているのですが」

編集者の催促が、重圧として嵐山の肩に伸し掛かる。

それから数週間後、嵐山から原稿を受け取った編集者は、その出来栄えを絶賛した。

「先生、ラストの殺人シーンなどは正に天下一品です」

「やはり作家たるものは、究極のリアリティを追い求めるべきだよ」

嵐山はそんな言葉を残し、数日後に殺人の容疑で逮捕された。

2016年1月29日金曜日

第8話「幸運の宝くじ売り場」

閉店間際の宝くじ売り場に、タクシー運転手のY氏が駆け込んだ。

「まだ間に合いますか」

「大丈夫ですよ」

Y氏は数字を記入したロト6のマークシートを店員に差し出した。もう何年も買い続

けている数字である。そして百円玉を二枚置いた。

「危うく買い忘れる所だったよ」

「間に合って良かったですね。今日が抽選日です、当たりますように」

そして次の日、Y氏は再び宝くじ売り場にやって来た。

「実は昨日買ったロト6が一等に当選したので報告にと思って」

「まあ、買い忘れそうになっていたあの数字が、まさか当選数字だったなんて」

「それがね、昨日急いで買った当選数字と同じものを、実は別の日にも一つ買って

いた事に気付いて・・・」



2016年1月28日木曜日

第7話「指定席」

その朝、通勤電車に乗り込んだY氏は高熱に侵されていた。重要な取引が予定されて

おり、どうしても会社を休めなかったのだ。

何時もと同じ先頭車両は満員で息苦しい上に、ひどい頭痛と倦怠感が容赦なくY氏を

苦しめた。

ーもうこれ以上、立っていられない。どこかに空席はないかー

Y氏は車内を見回した。空席はどこにも見当たらないが、視線の先に何時もと同じ座

席に腰掛けている若者の姿があった。満員の車内でゆったりと、まるで指定席である

かの様に。

やがて苦痛に耐え切れなくなったY氏は若者に近付き、そして思わず声を掛けた。

「お兄さん、たまには席を譲ってもらえますか」

その声は、ガラス越しに見える運転士の耳には届かなかった。

2016年1月27日水曜日

第6話「落選」

小説家志望のY氏は、コンクールに毎年応募を続けている。いつも入選を果たすほど

の腕前があり、今回の応募作は主人公の鬼塚平八郎という凶悪犯を描いた自信作でも

あった。

今年こそは大賞か!と大いに期待をしたのだが、どういう訳か一次審査すら落選して

しまった。

何か応募に不備でもあったのかと思い募集要項を入念に読み直してみたが、特に形式

的な不備は見られなかった。

ただ、一つ気になる箇所があった。審査委員長の名前の欄には、確かに鬼塚平八郎と

記されていた。

2016年1月26日火曜日

第5話「歴史的な瞬間」

写真家のY氏がカメラを片手にタイムマシンから降り立つと、目の前では炎天下にそ

びえ立つ大阪城を戦場にして、鎧に身を包んだ何千人という兵士が激しく入り乱れて

いた。状況から察すると、どうやら大阪夏の陣であろう。

「お前は、何者だ」

風変わりな未来人のY氏に、すぐさま一人の武将が声を掛けてきた。まるで真田幸村

の銅像を思わせる風貌である。

「未来からやって来た者です」

「ほう、珍しい奴じゃ。何の用だ」

「写真を撮りに来たのです」

「写真だと」

「はい、あなたの姿が後世に残ります。もしや、あなたは真田幸村では」

そこへ敵陣が勢いよく攻め込んで来た。

「左様。上手く撮ってよ」

武将はそう言い残し、突撃を開始した。

2016年1月25日月曜日

第4話「ワインの香り」

「一緒に、ワインでもどう」

女はボトルを手に取り、男にそう勧めた。

「頂こうか」

女は二つのグラスにワインを注いだ。片方には、予め毒が塗られてある。

ー遊びだったなんて、許せないー

込み上げる女の怒り。男は不倫の末に、女を捨てようとしていた。

「どうぞ」

男はグラスを受け取り、匂いを嗅ぐ。

「いい香りだ。君のワインはどう」

男はそう言って女の手からグラスを奪い取り、匂いを嗅いで見せた。

「同じよ」

「確かに」

男は女にグラスを戻した。

「乾杯」

グラスを合わせ、ワインを飲み干す二人。すると突然、女が苦しみ始めた。

「一体、どういう事・・・」

「俺はプロのマジシャンだ。一瞬の隙にグラスを入れ替える事など、訳も無く簡単な

事さ」

2016年1月24日日曜日

第3話「僧侶」

とある寺院の講堂で、聴衆は名高き僧侶の講話に耳を傾けていた。僧侶の身を包む上

質な袈裟衣は、いかにも高貴な雰囲気をかもし出しており、その背筋はシャンと伸

び、高齢の割に足腰の方は達者に見受けられた。

「私は生への執着を断ち切った故、死を恐れません。だから、いつ死に直面しても、

私は心穏やかでいられるのです」

聴衆は皆ウンウンと頷きながら、僧侶の尊い話に聞き入っていた。

その時、いきなり地面が音を立て、グラグラと講堂が揺れ始めた。

「地震だ!」

誰かの声に促され、聴衆は一斉に立ち上がり、僧侶は講話を中断した。

「どけ、どけ」

僧侶は突然そう叫んで走り出すと、聴衆を押しのけて、我先に外へと逃げ出していっ

た。


2016年1月23日土曜日

第2話「廃品回収」

ある日曜日、よくある家族の風景が、そこにもあった。

昼過ぎだというのに、ゴロゴロと布団にくるまる夫。宿題を放り出して、ただゲーム

に熱中する息子。ベランダ越しに外を眺め、物思いにふける妻。

ーなんて、つまらない休日かしらー

妻は思い描いていた休日とは、まるで程遠い現実を嘆いた。

ー退屈な結婚生活なんて意味がないわー

そして妻は結婚を後悔した。そこへ、どこからともなくアナウンスの声が・・・。

「こちらは廃品回収です。古新聞、古雑誌、その他だらしのない亭主、勉強しない

子供を抱えてお困りの方は・・・」

確かに、そう聞こえてくる。

ー頼もうかしらー

妻はニヤリと微笑み、玄関の扉を開けた。

2016年1月22日金曜日

第1話「奇妙な偶然」

その夜、とある繁華街で雑居ビルの火災が発生した。

消火活動は思いの外に難航し、火の勢いは一向に弱まる気配がない。

そこを歴史学者のY氏が偶然に通りかかった。

ーまるで地獄絵図だー

Y氏が見守る中で、逃げ遅れた人たちが窓から次々と身を投げると、野次馬から悲鳴

が上がった。

その後、消火活動は夜を徹して続けられた。

翌日の新聞で、Y氏は火災による死者が113人である事を知る。

ー確か、あの場所は...ー

曖昧な記憶を辿りながら、Y氏が文献を開いて火災現場について調べると、そこは確

かに処刑場の跡地であった。

偶然か、それとも...。

処刑場には113体の生首が並んでいたという。