2016年2月29日月曜日

第36話「生きるために」

最近、Y氏の周辺で立て続けに人が死んでいる。職場の同僚が交通事故で亡くなり、

親しかった同級生が心筋梗塞で亡くなり、更に近所に住んでいた知人が癌で亡くなっ

た。彼らは皆、働き盛りの四十代であった。

ー死は突然やって来るものだー

同じ四十代のY氏には、彼らの死が他人事とは思えなかった。平均寿命からすれば、

まだ三十年は生き延びる計算になるが、それが当てにならない事は彼らの死が証明し

ている。

ー俺はまだ死にたくないー

Y氏の中で死への恐怖が倍増する。以来、Y氏はその日に必ず何かをやり残しておい

て、それを次の日に持ち越すという行いを習慣にした。

ー明日に生きる理由を作っておけば、人は死なないだろうー

Y氏はそう考えた。

2016年2月28日日曜日

第35話「幽霊列車」

列車が大好きなサトシは、小学一年生の男の子。

その日、仕事から戻って来た父がサトシに言った。

「サトシ、列車でも見に行こうか」

「行こう、行こう」

大喜びのサトシは、父に連れられて自宅から程近い踏切へと向かった。そこは、サト

シが夢中になって楽しめる場所である。

「パパ、ほら見て。列車がやって来たよ」

そう言ってはしゃいでみせるサトシに、父は黙ってうなずいている。

「パパ、人がたくさん乗っているよ」

「仕事帰りの人たちだよ」

こうしてタカシは時が経つのも忘れ、次々とやって来る列車を眺めていた。そこへま

た列車がやって来た。

「パパ、今度は誰も乗っていないよ。幽霊列車かな」

暗がりの中、通り過ぎた列車は車庫へと向かった。

2016年2月27日土曜日

第34話「夜道」

その夜、女は男の家を訪れていた。夢中で話し込んでいる内に、やがて夜が更けてし

まう。

「私、もう帰らなきゃ」

「終電の時間は過ぎているよ」

「私の家は一駅向こうだから、歩いて帰るわ」

「夜の独り歩きは危険だし、君の家まで送るよ」

二人は夜道を歩き、やがて女の家に着いた。

「ありがとう、助かったわ。あなたは、どうやって帰るの」

「タクシーも見当たらないし、歩いて帰るよ」

「夜の独り歩きは危険だわ。あなたの家まで送ってあげる」

二人は夜道を歩き、やがて男の家に着いた。

こうして二人は互いの家を何度も往復するのだった。

「私たち、一体いつまで歩き続けるのかしら」

「あと少しだよ、ほら」

男はそう言って、東の空を指差した。

2016年2月26日金曜日

第33話「子宝」

昔々ある所に、人里を離れてひっそりと暮らす若夫婦がいました。二人には子供がい

ませんでした。どうか子宝に恵まれます様にと何時も神様にお願いしていますが、そ

の願いはなかなか叶いません。

「あなた、早く子供が欲しいわね」

「そうだな」

「子供を授かる、何か良い方法はないのかしら」

「それは聞いた事がないよ」

「じゃあ、神様にお願いするしかないわね」

「神様にお願いすれば、コウノトリが赤子を運んで来てくれるらしいよ」

若夫婦は庭先で、そんな話をしていました。すると目の前で、二匹の猫が交尾を始め

ました。

「あれは一体、何をしているの」

「じゃれ合っているのかな。試しに真似てみようか」

「そうね、何だか面白そう」

2016年2月24日水曜日

第32話「水の中」

夏の海水浴シーズン。家族三人で海にやって来た四歳のケンタは、両親の目を盗んで

浜辺の波打ち際で戯れていた。

ーもっと、こっちにおいでよー

波に誘われるかの様に、ケンタは水に足を入れた。

ーもっと、こっちだよー

誘われるままに、ケンタは水の深みへと進んで行く。やがて足が立たなくなり、ケン

タは水の中でもがき苦しんだ。

「助けて」

その叫び声は両親には届かず、ケンタは意識を失いながらブクブクと水の中に沈ん

だ。

それから一体どれくらい時間が過ぎただろう・・・。ケンタの意識はやはり水の中に

あった。そこは苦しみの無い世界。むしろ居心地の良い世界だ。安心感に包まれた水

の中で、ケンタは成長を続けていた。臨月は、暫く先である。

2016年2月23日火曜日

第31話「守り神の祟り」

その昔、ある溜め池に大ウナギが住んでいるという噂があった。その姿を見た者は誰

もいなかったが、村人たちは大ウナギを村の守り神として崇めていた。

ある年の夏、村を襲った台風の影響で溜め池が決壊し、見る間に水が流れ出た。やが

て水かさが下がった水面に大ウナギが姿を現すと、そこに与平という村の若者が待ち

受けていた。

「捕まえたぞ!」

与平は雄叫びを上げた。そして大ウナギを家に持ち帰ると罰当たりにも蒲焼きにし、

酒の肴にして食べてしまった。

その夜、目を覚ました与平は小便がしたくて厠へと向かった。放尿しようとして股間

に手を伸ばすと、与平は思わず絶叫する。

「うひゃー」

与平の指先は、大ウナギの頭をつまんでいた。

2016年2月22日月曜日

第30話「騒音」

Y氏は夜な夜な、ひどい騒音に悩まされていた。自宅マンションから見下ろす大通り

を、頻繁に暴走族が通り過ぎて行くのだ。数十台もの改造バイクは地響きを伴う爆音

を発し、Y氏の聴覚に破壊的な衝撃を与えた。そのお陰で、これまでにY氏が安眠を

妨害された夜は数えきれない。

やがてY氏は耐え切れなくなり、引っ越しを決める。

そして数日後,Y氏は隣人に別れの挨拶を告げた。

「隣の者です。今日,引っ越す事になりました」

「それは突然ですね」

「はい、暴走族の騒音に耐え切れなくて。それにしても、ひどい騒音ですよね」

「確かに、ひどい騒音です。でも、私はこうしていますから」

隣人はそう言って、両耳から補聴器を取り外した。

2016年2月21日日曜日

第29話「職業経験」

初心な恵子と奥手な良夫は、プラトニックな恋愛関係の末に結婚した。

「私たち、これから先もずっとプラトニックな夫婦でいましょうね」

「いいとも。君がそれを望むなら」

二人は永遠のプラトニックを誓った。

ところが一か月もすると、二人の関係は激変していた。

「今日は一晩中、あなたを離さないわよ」

初心だった恵子は、すっかり開放的な女に変貌していた。

「ああ、望むところさ」

奥手だった良夫は、いつの間にかテクニシャンな男と化していた。

一体、二人に何があったのか。結婚後の変化と言えば二人は転職をし、それぞれが新

しい仕事を始めた事だ。

アワビ漁を始めた良夫と、マツタケ栽培を始めた恵子。二人は今、そんな職業経験を

している。

2016年2月20日土曜日

第28話「豪雨」

夏の天候は、しばしば急変する事がある。

ー何だか、ひと雨降りそうだなー

散歩中のY氏が見上げると、空がどんよりと曇り始めていた。

ー早く家に戻ろうー

Y氏は足を速めたが、暫くするとポツポツと雨が降り始めた。自宅はまだ先にある。

傘を持っていなかったY氏は、途中にあった茶店に立ち寄って雨をしのぐ事にした。

窓の外を見ると、雨はどんどんと勢いを増しながら大きな音を立て、やがて道路は見

る間に冠水し始めた。正にゲリラ豪雨である。

そして雨足は更に強まり、今度は何やら黒い物体が降り始めた。

「何だ、あれは!」

Y氏は驚き、思わず声を上げた。空から降ってくる無数のゴリラたち。正にゴリラ豪

雨である。

2016年2月19日金曜日

第27話「こぶとりじいさん」

「ママ、早くお話してよ」

四歳の息子は、母から聞かされる昔話を毎晩楽しみにしていた。

「今日は何の話をしようかしら」

毎晩となると、やがて話も尽きてしまう。

「ねえ、早く」

母は一案を思い付き、何時もの様に話し始めた。

「昔々ある所に、右のほっぺに大きなコブのある、おじいさんが住んでいまし

た・・・」

母が話を続けていると、途中で息子がこう言った。

「ママ、その話は前に聞いた事があるよ。こぶとりじいさんの話でしょう」

「そうよ。でも今日の話は、この前とは少し違うのよ」

「じゃあ、続きを話して」

「おじいさんは、体が少し太っていて・・・」

息子は、小太りじいさんの話を楽しそうに聞いていた。

2016年2月18日木曜日

第26話「窮鼠」

あるアパートの一室で、文学青年の二人が談笑している最中、飼い猫が何かの動きに

素早く反応した。

「おい、ネズミがいるじゃないか」

猫は部屋の片隅にネズミを追いやり、今にも捕まえようとしていた。

「うん。窮鼠、猫を噛むっていう諺があるけど、あれは本当かな」

「それは、どうだろう。俺は猫を噛んでいるネズミなんて見た事がないけど」

猫とネズミは睨み合い、その場を動こうとしない。

「なあ、ネズミの口元を見てみろよ」

ネズミは慌てる様子もなく、しきりにモグモグと口を動かしている。

「まるで、ガムでも噛んでいるみたいだ」

「全く。あれじゃあ、窮鼠、ガムを噛むだよ」

「新しい諺だな」

「あっ、はっはっはっ」

二人は大笑いした。

2016年2月17日水曜日

第25回「昔ばなし」

秋の夜長に母が幼子に聞かせていた昔話は、いよいよクライマックスを迎えていた。

「お爺さんは娘との約束を破り、こっそりと部屋の中を覗きました。すると一羽の鶴

がいました」

幼子は興味深く耳を傾け、母は話を続けた。

「鶴は口にくわえた包丁を研いでいました。そして、お爺さんに気付いてこう言いま

した。お爺さん、覚えていますか。私は山で罠にかかっていた鶴です。あの時、どう

して私を助けてくれなかったのですか」

幼子は顔を強張らせ、母は更に話を続けた。

「そして鶴は、お爺さんに包丁で襲い掛かりました。おしまい、おしまい」

「お母さん、なんだか怖い話だね。何て言うお話なの」

「鶴の倍返しよ」

2016年2月16日火曜日

第24話「年末の宝くじ」

宝くじ売り場の店先で、プラカードを手にした広報の男が通行人に声を掛けていた。

「本日、最終発売日となっております」

Y氏がその声を聞き流しながら店の前を通り過ぎようとした時、

「ねえ、少し買っていってよ」

男はそう言ってY氏の前に立ちはだかった。

「またの機会に」

「何だと、黙って店の前を通るのか。いいから買えよ」

男が高圧的な態度を示し、Y氏の癇に障った。

「あんた、強引すぎやしないか」

「ああ、ウチはこういう商売なのさ。分かるだろう」

男はそう言って、Y氏の目の前にプラカードを突きつけた。大きな文字でこう書かれ

ている。

"第1回年末ジャンボやからクジ・発売中"

確かに男はやかっている。

2016年2月15日月曜日

第23話「マッチを売る少女」

「マッチはいかがですか」

底冷えのする夜の繁華街の片隅で、少女は行き交うオヤジたちに声をかけていた。そ

こを偶然に通りかかったY氏が少女に話しかける。

「お嬢ちゃん、マッチを売っているの」

「そうなの」

そう答える少女は、どことなく大人びても見える。

「いまどき珍しいね、マッチ売りの少女みたいで」

「そうでしょう。それでオジサン、買ってくれるの」

「せっかくだから、一箱もらえるかい」

「ありがとう」

「お嬢ちゃん、いくらかな」

「一箱三百円よ。ところでオジサン、いくら持っているの」

少女はそう言うと、上目遣いでY氏を眺めた。

「いくらって・・・」

「実は私、エッチ売りの少女なの」

2016年2月14日日曜日

第22話「駆け込み乗車」

その朝は特に寒気が強く、通勤で行き交う人々の吐く息が白い。

ホームで電車を待つY氏の髪が、師走の風になびいた。

暫くすると電車が到着した。Y氏が乗車して扉の脇に立つと、車内に冷たい空気が流

れ込んだ。

「扉が閉まります」

そんなアナウンスと同時に勢いよく階段を上り、電車に駆け込んで来るスキンヘッド

のオヤジがいた。

「駆け込み乗車は危険です」

オヤジはアナウンスを聞き流し、辛うじてY氏の目の前に乗り込んだ。よほど走った

のか、肩で息をしているオヤジの額からは、この寒さの中で大粒の汗がにじみ出てい

る。

冷えた空気が漂う車内で、熱を帯びたオヤジの汗は白い蒸気となり、スキンヘッドの

頂上から見事に立ち上った。

2016年2月13日土曜日

第21話「胸のときめき」

ある日の昼下がり、二人の男が公園のベンチに腰掛けていた。

「先輩、胸がときめくって、いいですよね」

「胸のときめきか・・・」

「実は昨日、すごく胸がときめいちゃいました」

「ほう、何かあったのか」

「はい、見ず知らずの女性に道を聞かれました」

「それで、どんな女性だったの」

「若くて目の澄んだ、とても美しい女性でした」

「それで胸がときめいたのか」

「はい、聞かれた場所がすぐ近くだったので、案内がてらに僕は暫くその女性と一緒

に歩きました。もう胸がドキドキして」

先輩の男は、羨ましげに話を聞いていた。

「ところで先輩は、最近ときめいていますか」

「ああ、胸はよくドキドキするよ。いわゆる更年期障害というか・・・」

2016年2月12日金曜日

第20話「狙われた首相」

寒空の下、某国の首相は聴衆に向けて演説を行っていた。

今、世界情勢は緊迫しており、密かに首相の命が狙われているという噂もある。そん

な中、会場には厳重な警備体制が敷かれていた。

やがて首相の演説が滞りなく終了しようとした時、上空に一つの飛行物体が現れた。

それに気付いた護衛たちは空を見上げた。危険を察知すれば、直ぐに撃ち落とさねば

ならない。

飛行物体と首相との距離が徐々に縮まってゆく。しかし、護衛は動かない。タイミン

グを見計らっているのだろうか。

そして物体は、遂に首相の頭上に迫った。その瞬間、何やら白い落下物が放たれた。

ピチャ。

見事に首相の肩に命中した。

首相が見上げた先には、一羽の鳥の姿が・・・。

2016年2月11日木曜日

第19話「救いの手」

その朝、Y氏は何時もと同じ通勤電車に乗り込んだ。何か思い詰めた顔をしている。

ー俺みたいな人間は、いない方がいいー

Y氏はスーツの内ポケットに遺書を忍ばせていた。

ここの所、職場での人間関係が上手くいっていない。良かれと思って言った事が全て

裏目に出てしまう。やがてY氏は孤立し、仲間を失った。

「あんな奴、辞めてしまえばいいのに」

そんな噂まで聞こえてくる。

ー俺も嫌われたものだ。これ見よがしに社の屋上から飛び降りてやるー

Y氏はそう決意し、何気なく車内を見回した。すると、ある車内広告がY氏の目を引

いた。

"今週のベストセラー「嫌われ者の成功哲学」"

Y氏はスーツの内ポケットに手を伸ばし、遺書を握りつぶした。

2016年2月10日水曜日

第18話「骨折」

職場に、最年長の爺さんがいる。Y氏は親しみを込めて、彼の事を長老と呼んだ。

ある日の事、長老に悲劇が起こった。職場まで何時も自転車通勤をしていた長老は、

雨の日にスリップを起こして転倒し、右足を骨折したのだ。長老は、そのまま病院に

搬送された。

そして、三か月後。

「長老、退院おめでとうございます」

Y氏が長老に声を掛けた。

「ありがとう」

「それで、足の具合はどうですか」

「骨はくっ付いたが右足に力が入らなくて、どうも歩きづらいよ」

「それは不自由ですね。この際、左足の骨も折ってしまえばどうですか」

「何て事を言う」

「左右のバランスがとれて、丁度いいかもしれないですよ」

2016年2月9日火曜日

第17話「男と女」

「ねえ、一緒に住まない」

「ああ、そうしよう」

男と女の気持ちが高まり、二人は同棲を始めた。

しかし三年が過ぎた頃、二人の同棲生活は倦怠の中にあった。一つ屋根の下に住んで

いながら、その大半の時間を別々に過ごし、一緒に摂る食事の最中でさえ十分な会話

もない。

そんな生活に耐え兼ねた男が、ふと漏らした。

「なあ、もう別れないか」

「どうしたの、急に」

「俺たち、これ以上一緒にいる理由が無いと思うけど」

「どうして」

「君と僕は互いが空気みたいな存在で、いてもいなくても同じだろう」

「そうかもしれないけど、別れる理由も無いと思うの」

「何故だ」

「だって、空気は目には見えないけど、無くなると死んでしまうわ」

2016年2月8日月曜日

第16話「生まれ変わり」

Y氏の新しい転職先は、いわゆるブラック企業であった。実力、拝金主義の職場は常

に嫉妬、批判、欺瞞、陰口が渦巻く極めて険悪な人間環境にあった。

ー俺はもう、この職場では働いていけないー

やがてY氏は極度の人間不信から鬱を起こした。そんなある日、何時もの様に出勤し

てオフィスの扉を開けると、何故か同僚が一人もいなかった。

ーはて、どういう事だー

Y氏が呆気にとられていると、デスクの下から小動物が次々と姿を現した。しかも、

どこか見覚えのある顔付ばかりである。

Y氏はふと、小学生の頃に動物園で聞いた担任の先生の話を思い出した。

「人間はタヌキに生まれ変わる事があります。人の悪口を言ったり、人を騙したりす

ると・・・」

2016年2月7日日曜日

第15話「猫」

"桜散る"

そんな知らせが届き、青年の浪人生活が始まった。仲間たちの多くが進学や就職を祝

う中で、取り残された青年は底知れない孤独の中にいた。

そんなある日、青年は家の軒先で一匹の猫を拾った。ミイと名付け、家で飼う事にな

った。

ーミイ、君は僕の心の支えだー

以来、青年の心は癒され、勉学の励みにもなった。

そして、一年後の春。

"桜咲く"

青年の元に、そんな嬉しい知らせが届いた。

ところが、その日を境にしてミイは青年の前から姿を消した。どこを探しても見つか

らなかった。

ーミイ、ありがとう。君の事は、ずっと忘れないよー

青年の目に涙が浮かんだ。

ミイは今頃また何処かで、孤独な浪人生に拾われているのだろう。

2016年2月6日土曜日

第14話「妻の笑顔」

僕の喜びは、妻の笑顔を見る事だ。これまでの夫婦生活の中で、僕はとびきりの妻の

笑顔を3度見た事があった。

1度目は結婚の時。妻は、これから始まる甘い新婚生活に大きな期待をした。

2度目は子供が生まれた時。妻は、これから目にする子供の成長に胸を膨らませた。

3度目は孫が生まれた時。妻は、まるで我が子が誕生したように喜んだ。

今年で僕たちは結婚40年を迎える。体の弱った僕に比べ、妻はとても元気一杯だ。

そして最近、僕はこんな事を考えている。

ー4度目があるとすれば、それは何時だろうかー

すっかり会話をしなくなった妻の横顔を見る度に、僕にはその答えが分かる様な気が

する。

4度目は、僕が死んだ時なのだろう。

2016年2月5日金曜日

第13話「結婚とは」

結婚とは何か。そう自問自答する人もいるだろう。結局その答えは、実際に結婚して

初めて分かるのかもしれない。

Y氏は、ある時その答えに行き着いた。

「俺、結婚して気付いたよ」

食卓を囲み、Y氏がふと漏らした。

「急に何を言い出すのよ」

女房は面食らい、思わず箸を止めた。

「お前のお陰で俺は今、とても素晴らしい心境にいる」

「どんな心境なの」

「そうだな、例えて言えば偉い僧侶ってとこかな」

「立派な事だわ。でも、どうして私のお陰なの」

「どうしてって・・・。結婚とは、苦行の始まりだからさ」

2016年2月4日木曜日

第12話「やせ我慢」

"我慢は美徳である"

そんな信条の下に、Y氏は若い頃より自らに我慢を課し、忍耐を通じて生き抜いて来

た。今年でY氏も四十代半ばを迎えたが、生きる姿勢に変わりは無い。

そして最近になって、Y氏は新たな我慢を自らに課した。

「今日からビールは飲まないぞ。それと食事の量も半分にしてくれ」

「あら、あんなに大食漢だったのに。我慢しすぎると、かえって体に悪いわよ」

嫁はY氏を気遣った。

「いいさ。男が一度決めた事だ」

Y氏は目の前のビールに敢えて見向きもしない。だが正直な所、今回の決断を後悔し

てもいた。

「我慢出来るの」

「ああ、出来るとも」

「その体じゃ無理よ」

「どういう事だ」

「やせ我慢するなら、やせてからにしてよ」

2016年2月3日水曜日

第11話「バラのような」

恋人同士は互いに胸を弾ませ、愛に満ちた甘酸っぱい会話を交わす。しかし「結婚は

恋愛の墓場である」という余りにも有名な格言に詠われるように、結婚した男女が年

を重ねて行くと、何時しか愛が冷め、会話も冷めてしまうものだ。ただ希に、何時ま

でも恋人同士の様に甘い言葉で愛を確かめ合う夫婦もいる。

「あなた、愛しているわ」

「僕も君を愛している」

夫は妻を見つめ、腰に優しく手を回した。

「私って、綺麗だと思う?」

「ああ、君はいつ見てもバラのようだ」

「まあ、嬉しいわ。どんなバラかしら」

顔を赤らめる妻は、結婚前よりも太ってしまったけれど、変わりなく愛らしい。

「どんなバラかって・・・、豚バラに決まっているじゃないか」